純喫茶ウミボウズ

いつ来ても他にお客がいない喫茶店へようこそ。

電気椅子 お客様、もしかして・・・。

いらっしゃいませ。

 

ああ、またあなたですか!

またご来店して下さって、まことにありがとうございます。

前回は本当に申し訳ございませんでした。

なんだか追い出すような形で、ゆっくりと寛いででいただくこともできず。

当店の唯一の取り柄は、ダメ人間でも世間様に負い目を感じずにリラックスできることなのに。

 

・・・いえ、あなたがダメ人間だとは申しておりません!

 

本当にね、こんな元旦からお一人様でご来店下さってね。

 

お客様もしかして・・・やはりダメにん・・

 

ま、まって下さい!前回に引き続き帰ろうとしないで下さい。

今日は特別に、暖炉に火まで入れて雰囲気出してるんですから!

え!?正月!?門松!?鏡餅!?

何それ、わかんない。ここ喫茶店だから。

 

CAFEだから。

 

なんか反応して下さいよ。その・・・

い、祝うという気持ちが大切なんですよ。形式よりも。

 

仕方がない。とっておきのお話をしちゃいましょう。

いいですか。『エレキング』という漫画で、人生は毎日が特別という話が

ありまして、なぜなら同じ日は二度と巡って来ないから

というお話なんですが、深いと思いませんか?

クリスマスとかお正月とか誕生日とか、そんなこと祝う以前に人生って毎日が奇跡なんですよ。

 

 

だから、ただ暖炉の前に座ってコーヒーを楽しみませんか?

 

 

 

さて、本日のお話ですが

 

え?なぜ毎回話しかけるのかって?

それはお客様がラッキーだからですよ!!

ほんと、出来ることならあなたになりたいくらいです。

 

え?あ、ご注文なさるんですか。

コーヒー?

少々お待ち下さい・・・・・

 

冷蔵庫に豆を入れてるなんて本格的・・・ですか?

 

ああ、これは違うんですよ。

この中国製のインスタントコーヒー

冷やしとかないと、粉がゲル状にゲフンゲフン・・・。

ははは・・・なーんちゃって・・・。

 

お待たせいたしました。ブレンドコーヒーです。

 

 

では改めまして本日のお話です。

 

コーヒーのことはもう忘れて下さい。

大丈夫。そのくらいの量なら飲んでも大丈夫ですから。

 

今日のお話はこの『岩波 哲学・思想辞典』についてです。この分厚い辞典を適当に開いて、目を瞑ったまま指差した言葉の意味を私が辞典を読まずに解説します。真剣に解説いたしますが、もちろん直感に頼って解説いたしますので、内容を信じるかどうかはあなた次第です。

※正解は末尾に記載いたします。本当の正解ですのでどうか信じて下さい。絶対に絶対に大丈夫です。

 

ではやっちゃいましょう。

 

『批判的実在論

 

ぐぬうっ!! 

こ、これは・・・初回からこれは・・・

ある意味自分の才能が怖いですよ。

いいでしょう。やってやりますよ。

 

 

批判的実在論とは16世紀後半のフランスにおいてガンコー・デ・メッチャオコールが提唱した哲学思想である。当時のフランス哲学界においては実在論が主流を占めていたが、その内容は実際に目の前にあるものを指差して「〇〇は実在する」というだけで、哲学とは言い難いものだった。当時のフランス哲学界の混乱ぶりを題材にした芸術作品も多く、中でもイヤーン・ヴァカーンの『真顔で自分のヒジを指してヒザという人』−国立パリ・パリッパリ美術館収蔵–は国際的にも非常に評価の高い作品である。また、ヤッパ・ソージャンの小説『僕の左の人差し指は実在する』は主人公の無職の中年男性が、自分の左手の人差し指を右手の人差し指で指して「僕の左の人差し指は実在する」と叫びながらパリ中を走り回り、最後には「逆に右手の人差し指も実在する」ことに気付く作品だが、なぜか世界中で何度も映画化や舞台化をされている。そんなフランス哲学界の堕落にめっちゃ怒ったメッチャオコールは「本当に実在する?それ本当に実在するの?とりあえず一回疑ってかかろうよ」と言ったとされている。しかし、周囲からの風当たりは強く、メッチャオコールは「クラス皆で盛り上がっているのに一人だけ空気が読めない子」のような扱いを受け続け、不遇のうちに人生の幕を閉じた。なぜか現在でもメッチャオコールの評価が見直されることはなく、フランスにおいては人に向かって「メッチャオコール」と言うのは、中指を突き立てる以上の最大の侮辱であるといわれている。

 

 

 

いかがでしょうか。

 

当たらずとも遠からず、といったところでしょうか。

答え合わせが楽しみですね。コーヒー冷めちゃいますよ。

そんなチョビチョビ飲まずに・・・

コーヒーはイッキにいった方が安全ですから。

 

ん?おっと、もうこんな時間ですね。

閉店時間を30分も過ぎてしまいました。

早くコーヒー飲んで下さい。

え?帰る?そうですか。

どうしようかなこのコーヒー。

コップ洗うときに手についたり、目に入ったりするとゲフンゲフン。

 

ではお気をつけて。

それからお客様、今晩は絶対に鏡の前に立たないで下さい。

いいですか、絶対にですよ。わけは言えませんが・・・グエッ!!やめて

首をしめないでく・・・だ・・・さ・・・言います!いいますから。

 

今日お客様がお座りになった椅子なんですが、この椅子は

映画『コンスタンティン』にも登場した、シンシン刑務所で何人もの死刑囚を

地獄送りにした「電気椅子」なんですよ。だからこれに座ると邪悪なものが取り憑いて災厄を為すと言われておりまして。特に夜中に一人で鏡の前に立つと、あっち側に引き込まれると。実際にこの椅子に座らせた友人やらお客様やらが失踪したことが何度も・・・や、やめて下さい!!なにをしようと・・・

こここ、この椅子に座らせようとしていますね!!

 

ウワーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!

 

 

本年もよいお年を。

またのご来店をお待ちしております。

筆者

 

特別付録:批判的実在論ってどんな意味!?

 

近世の認識論は、デカルト以降、心的な観念から出発して外的な物的世界にいかにして至るかを論じ続けてきたが、批判的実在論もまた歴史の一コマである。心的な世界から発して物質的実在への推論を不可能と考える人々は、二元論的な発想を捨て、たとえば主観的観念論へ向った19世紀の終わりから20世紀初頭にかけての観念論の優勢はそれを示すものである。しかし、観念論に対する反動は、まず新実在論となって現れた。批判的実在論は、新実在論とほぼ時を同じうして出現したが、体系化は少し遅れた。批判的実在論は、客観的世界が知覚と独立に存在するという点では新実在論と軌を一にしていた。両者の差異は、心的な動きの範囲の理解にあり、経験はその中に対象自体を含むかどうか、という問いに対する答えにあった。批判的実在論は、心的世界の独自性を認め認意識的二元論をとったが、新実在論は、概して、認意識的一元論に傾いた。知覚の構造の理解については、新実在論は〈直接実在的 direct realism〉的であり、知覚は物自体を推論の媒介なしに直接に把握すると考えた。批判的実在論は、知るという我々の働きを、単に与えられたものに気づくということではなく、複合的な解釈の過程である、と考え、認識論に関して、観念論と直接実在論の双方に反対する。しかし、批判的実在論は、伝統的なロック流の〈表現的実在論 represen ta tionalism〉とも区別されるべきである。表現的実在論から、その主張の一つである、観念から出発して心の外にある対象へ推論するという不適切な議論を除くならば、その批判として成立した観念論も存在理由がなくなるというのが、批判的実在論の確信の一つであった。

 

以上『岩波 哲学・思想辞典』より抜粋