純喫茶ウミボウズ

いつ来ても他にお客がいない喫茶店へようこそ。

カウンターチェア 今更の自己紹介など

いらっしゃいませ・・・。

 

ああ!お久しぶりです。ずいぶん来てくれなかったじゃないですか。

 

え!?そもそも店が開いてなかった!?

 

ゲフン・・・。そうですね。全くもってその通りです。返す言葉もございません。

でも、店を開くのって想像以上に面倒なものなのです。今日だって気紛れサンドイッチの消費期限がギリギリでなければ絶対に開店なんか・・・。

 

はい?ああ、気紛れサンドイッチですね。

 

ありがとうござ・・えっ!?いらない!?そういうことはさきに言って下さいよ。

え?さきっていつだ?ははは、まったく、この人は

 

 

ああ言えばこう言う!!

 

はい!これ、いつものコーヒー!

どうぞお好きな椅子にお座り下さればいいでしょ!!

いい加減にして下さいよ、ほんとうに。

今日は大切な自己紹介の日なんですから。

 

ん?・・・どうしたんですか?そんなシステムがあったとは知らなかった?

まあ、今作りましたからね・・・。

なんですか、その乾いた笑いは。だって嫌じゃないですか?こんなどこの馬の骨ともわからない人間の話を長々と聞くのは。せめてどんな素性の人間なのか、知りたいと思うのは当然じゃありませんか。そうですよね。

 

 

では、そこの不味そうにコーヒーを飲んでいる馬の骨!名をなのれ!

 

 

はいはいはいはいごめんなさいって。帰らないで下さいよ。

私から自己紹介させていただきますから。

 

 

私の名前は海坊主です。

 

「かいぼう つかさ」と申します。

この名前、ほぼ確実に「うみぼうず」と読まれてしまうのが悲しいところです。

正しく読んでいただくのはとっくにあきらめましたので「かいぼう」でも「うみぼうず」でもお好きな呼び方でどうぞ。

 

坊主頭にしてサングラスをかけると、某なつかしアニメの人気キャラに似ているという噂も聞きますが、それは私の名前とは全くなんの関係もございませんので、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

出身は日本の秘境です。

 

群馬特別県(英語:Union of Gunma Socialist Republics)出身です。一部では群馬特別県の出入りにはパスポートが必要などというデマが流れているようですが、決してそんなことはありません。まだ必要ではないです。

モンスターハンターG(グンマ)

のモデルにもなった県であり、実際に個性的すぎるG級モンスター(県民)が多数生息しています。

 

そんな群馬県の中でも私が生まれ育ったのは労働者階級の町いや、村と言った方がいいような地域でした。まさに文化不毛の地で

 

町一番の文化施設TSUTAYA

 

であると言えばご理解いただけるでしょうか。その「文化施設」も私が成人してからだいぶ経って出来たように記憶しています。

 

文化不毛の地とは言え、決して過疎が進んだ山村と言うわけではなく、名前を言えば誰もが知っているような大手製造業各社の巨大な工場に取り囲まれたような地区であり、若く血気にはやった労働者達が多く生活していたので、旺盛な消費需要があったはずなのですが、その需要はどうやら全て

 

「飲む・打つ・買う」に集中

 

していました。事実、休日の大人達の遊びと言えばパチンコでした。映画館どころか大きな書店すらない町内には、宇宙船のように光り輝くパチンコ店が異常な密度で林立しており、休日には朝から製造業各社の作業着姿でパチンコを打つ大人達が充満していました。彼らは平日、ヘトヘトになるまで機械の前で単調な作業を繰り返し、休日になると場所を変えて同じように機械の前に一日中座っていて飽きないのかなと、当時の私は思っていました。

 

後に自分も、この同じ地区でゴリゴリの期間労働者をすることになるのですが、肉体労働者を経験してみてパチンコが流行る理由がよくわかりました。人間は知的労働よりも単調でミスが許されない長時間の肉体労働の方が疲弊します。これは本当に心身共にボロボロにします。そしてボロボロになってもできることと言えば、そう、椅子に座ってレバーを回すことくらいです。その際、居眠りしてしまわないように、大きな音がなっていたりすると助かります。出来たら時々強い光なんかで視覚も刺激してほしい。あとお金、その上お金が儲かるなんて夢のような話、あるわけな・・・

 

パチンコあるじゃん!!

 

幸か不幸か私は博才が皆無だったため、初めてのパチンコで何時間座っても台がピカリとも光らず、故障してんじゃないかと思うほど音もならなかったのでパチンコの沼にハマることはありませんでしたが・・・でも、あれ!?ビギナーズラックってあるんじゃなかったんでしたっけ・・・あれ!?

 

さて、博打を打ったら酒を飲んで女を買うのが世界の常識と言われておりますが、この地区も例外ではなく、他の文化は原始時代からほぼ進歩していないにも関わらずフウゾク文化だけは全国区でした。隣の市に当時有名な深夜番組で取り上げられるほど巨大な歓楽街があったからです。どのくらいの規模かと言うと、学生時代に新宿歌舞伎町に遊びに行ったら「あれ!?世界的に有名な歌舞伎町ってこんなに小ちゃいの!?」って思いました。

 

夕方ともなれば、そんな巨大な歓楽街にパチンコで勝ったあぶく銭を持った労働者、負けてヤケになった労働者、その他生まれつきヤケクソな労働者などがひしめきます。つまり皆集まります。家でもお酒は飲めるし、女の子と話すったってどうせ内容の無い会話しかしないのだから、綺麗なマネキンにでも話しかけた方が安上がりだと思うのですが、何故か皆大金を使いたがります。これに関しては期間労働者を経験した今でも理解できません。

 

一度、鬱で苦しんでいるときに知人に連れられて初めてキャバクラに行ったことがあったのですが、最悪の経験でした。いくら世間知らずの私でも、ブサイクで貧乏な非正規労働者が初めてのキャバクラで彼女ゲットとか、そんな奇跡が起こるとは考えておらず、接客のプロのトークで癒されようというのが主目的でした。しかし、まあなんというか・・・・・・・。あれほどつまらない会話をしたのは後にも先にもあの時が最後のような気がします。あれは下心と安いアルコールで認知機能が思いっきり低下した状態でないと楽しめない遊びだということはよく分かりました。

 

そんな、労働者の町に先祖代々住んでおりながら、なぜかずっと自営で第一次産業を営み続けている一族の元に私は生まれ堕とされました。小さな頃から全く落ち着きがなく、そのくせ妙に核心を突いた屁理屈をこねるガキだったそうです。口癖は「つまんない」で、大人が遊んでやろうとすると謎の理由ですぐパニックを起こし、ひきつけを起こすほど泣き叫んだそうです。人から触られることを嫌がり、極端なこだわりがいくつもあり、自分1人の世界に閉じ籠ることが大好きでだったそうです。

 

私はASDADHD併発型の発達障害者です。自分で言うのもなんですが高機能発達障害者です。気になる方はプロフィールの学歴をご参照ください。と言っても自慢がしたいわけではなく

 

地元での18年間

 

がどんなものであったかを皆さんに説明するためです。先ほどの 幼少時代の話はすべて親、あるいは親類から伝え聞いた話ですが、そもそも私は27歳以前の記憶が非常に曖昧なのです。特に18歳までの記憶はほとんど断片的なものしかありません。それもいまだにフラッシュバックするような悪夢のような記憶ばかりです。私の記憶力がお粗末なのか、地元での18年間が悲惨なものだったか、どちらが原因かはよくわかりませんが、地元が今すぐ地図上から消し飛んだら心がスッキリする予感はあります。

 

一般に高機能発達障害者は学生生活をしている限り(学業成績優秀なので)障害者であると気づかれない傾向があると言われています。つまり本人がどんなに生き辛さを訴えていたり、奇行を繰り返していても「頭のいいやつは変わってる」の一言で済まされてしまうということです。地元での私がまさにこれでした。どんなに学業成績が優秀でも基本的に奇行を繰り返すキモイ奴なので友人なんてめったにできませんし、できても短期間で関係が不可逆的に破綻しました。もちろん常に仲間外れでしたし、当然のようにイジメも受けました。

 

客観的に見れば、あまり幸せな子供時代とは言えませんが、それでも当時の私は人生に何の疑問も持たずに生きていられました。中学校を卒業するまでは勉強なんてしないで1人でTVゲームをしていても他の生徒より圧倒的に勉強ができたので、なんとか自己肯定感を保つことができたのです。

 

親や教師達も、私の障害には全く気づきませんでした。当時のあの地域で発達障害という言葉を知っている人がいたかすらも疑問です。ましてや高機能発達障害児なんて気づかれる方が奇跡だったのかもしれません。しかし、もしもあの時点で誰かに指摘を受けたとして、私が自分の障害を素直に認めたかは疑問です。これは私の実感ですが、大抵の発達障害者が自分の障害を認めるのは

 

「もうダメだ」を経験してからです。

 

あらゆることから逃げて逃げて、言い訳を繰り返して、人をごまかして自分すらも騙し続けて、それでもとうとう追い込まれて「もうダメだ」と認めるのです。自分は特別な人間などではなく欠陥品なのだということを受け入れるのです。ある意味、そこからが発達障害者の本当の人生の始まりだとも言えるのですが・・・。 

 

高校へ進学した私は人生で初の挫折を味わうことになります。

 

中学までの勉強が楽勝すぎた私は地元でも有名な進学校に勇んで入学いたしました。当時、手塚治虫の『ブラックジャック』にハマっていたこともあり夢は天才外科医でした。本当に世界を舐めきっており、勘違いのレベルだけで言えばすでに歴史に名を遺す天才レベルだったことは確かです。当時の私がどんな人間を目指していたかと言うと

 

「人にへこへこ頭を下げて誰にでもできるクダらない仕事なんかするものか。札束を積まれて土下座して頼まれて仕事をするような人間に俺はなる。間違ってもサラリーマンになんか絶対にならない。サラリーマンになるくらいなら自害する」

 

という感じです。ほんと、やめてくれというしかありません。これでは今の私は何度自害しないといけないかわかりません。

 

しかし、そんな高く高く伸びきった私の鼻も、高校に入学して一週間としないうちにグチャグチャのミンチにされることになります。この高校は大学入試における数学の得点力が高いことで有名だったのですが、中学校までの私の得意科目もまさにこの数学でした。自分は天才だと信じていた私は、この高校でもすぐにトップクラスの成績をとり、ゆくゆくは東大に、いやハーバード大学医学部に入学するものだと半ば本気で信じていました。ところが・・・。

 

学校が始まって最初の数学の授業で、私はつまずきました。

もう何がわからないかもわからないという、その後の人生で何度も味わうことになる地獄の、これが初体験でした。わからないのも当然で、この日の授業ではなんと教科書が50ページも進んでしまったのです。とはいえ、これは予告されていたことでした。春休みの宿題として、数学の教科書を50ページ進めておくことと通達がなされていたのですが、私はまさか最初の授業で全部やってしまうとは思ってもおらず、宿題のことなど綺麗サッパリ忘れて春休みを謳歌してしまっていたのです。

 

この遅れは致命的でした。その後の授業も猛烈なペースで進み、内容の難解さも中学までの数学とは次元が違いました。私も必死に遅れを取り戻そうとしましたが、差は縮むどころかどんどん開いていきました。こうなると、焦る心が空回りするばかりで勉強の内容など、全く頭に入りませんでした。一番得意な数学がこのザマなのです、他の教科は推して知るべしです。私の心が折れるまでに半年もかかりませんでした。

 

自分は頭の良さで生きていくと思っていたのです。周りの人間にどんなに仲間外れにされても、勉強が得意だということを心の拠り所にして生きてきたのです。私の自己肯定感は唯一の根拠を失ってしまいました。

 

そして私は鬱病にかかりました。

 

初めての鬱病。その時私はこの病の名前すら知りませんでした・・・。このお話はまた今度にしましょう。とても長い話になりますので。

 

私にとって高校時代は人生でワースト3に入る時代です。多くの人にとって高校時代は青春時代であり、最良の時期の1つだと思います。ですが、私にとって高校の思い出といえば、うつむいて授業が終わるのを必死に待っていたことくらいです。あの3年間が人生から綺麗になくなればどんなに幸せかわかりません。実際、3年間通っても勉強の内容はほとんど頭に入っていませんでした。その後の2年間の浪人生活で

 

「高校の勉強って、こんなことやってたのか!!!」

 

と驚いたくらいです。さて、先ほども言ったように高校卒業後、私は東京の予備校の寮に入って2年間の浪人生活を送ることになります。まだまだ自分の発達障害には気づけませんが

 

ここら辺の時期からとっておきの面白エピソードが・・・。

 

おっと、もうこんな時間じゃありませんか。

 

閉店時間を30分も過ぎってしまっていましたね。

 

続きはまたいつか、気が向いたらお話します。もう私がどんな人間か十分にわかったんじゃないですか?

 

え?お客様の自己紹介がまだでしたか・・・。

 

大切なことを忘れていました。よくあることなんですけどね。

 

お時間大丈夫でしたらコーヒーをもう一杯飲みながらお話していただけませんか?もちろん店からの奢りです。

 

 え?私がいま持っているこの容器ですか?これはコーヒー豆の容器ですよ。

 

え?いつものインスタントコーヒーじゃないのかって?

 

ああ、これはお客様になんかお出しできないもので・・・私が自分で飲む用のちゃんとしたコーヒー豆ですよ。これをこちらの、こだわりのイタリア製コーヒーメーカーで淹れて飲むのが閉店後の楽しみ・・・

 

やめて!コーヒーメーカーを蹴らないで!

 

 

またのご来店を心よりお待ちしております。

店主 海坊主

 

 

 

※因みに本日お客様がお座りになっていた椅子は「カウンターチェア」と申しまして、背もたれがない足が一本の、いわゆる「ラーメン屋のイス」です。広く世界中で愛されている傑作椅子の一つです。え?餃子の匂いがズボンについた?当店は本格志向をポリシーにしておりまして、そういった細部のリアリティーにも一切のぬかりはございません。はい!!ありがとうございます!!え?聞こえな・・ありがとうございます!!!